パワナンバー:11500 72383 76382
1958 .269(510-137) 21本 48点 35盗
経歴
岡山県立南海高校-大阪タイガース、阪神タイガース(1953-67引)
史上最高の三塁手と言われた虎戦士。53年にプロ入りし、3年目の55年からレギュラーに定着。同期入団の吉田義男選手との三遊間は鉄壁で、「練習だけで金が取れる」とも言われた。57年には全試合出場を果たし、ベストナインに輝く。翌58年からは長嶋茂雄選手の巨人入団もありタイトル獲得は無かったものの、その守備力は各方面から賞賛され「史上最高の三塁手」とも言われた。また1956年途中から882試合連続出場、1957年途中から700試合連続フルイニング出場を記録。当時の日本記録であった(現在は歴代3位)。62年9月6日の試合前、不運にも味方のキャッチボールの送球が目に直撃しそのまま入院。63年6月に復帰するも、視力が低下し出番も減少。67年に引退。引退後は阪神のコーチに就任。また91年には吉田が監督を務めるフランス代表のコーチも務めた。
査定
肩力、守備力
長嶋が肩力B77、守備力B70なのでそれと比較して。
史上最高と言われた守備なのでもうがっつりあげました。
チャンスF
得点圏打率.211
1,2番での起用が多いため打点も多くはない。
盗塁C、積極盗塁
盗塁成功率.686(51-35)
この年は少し成功率低めですが、前年.741(31-23)、翌年.731(41-30)
通算でも.718(277-199)
走塁C、積極走塁
三塁打6本
送球A
「スローイングはきれいでした。フットワークがよくて、まっすぐの球を投げる」
(週刊ベースボールONLINE ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ 短期連載ダンプ辻コラム 第35回 「大リーグボールか魔送球か?」より)
ケガしにくさA、回復A
元祖鉄人とも
守備職人、高速チャージ
華麗で堅実な守備。史上最高の三塁手なので。
ラインドライブ
ライナー性の打球が多い。(週刊プロ野球データファイル45号)
対エース○
規定到達の大石正彦投手(大洋)を除く9投手からのべ13本の本塁打。
この年の規定到達者(190回)は12人。(大阪からは小山投手、渡辺投手が規定到達)
サヨナラ男
サヨナラ打3本(6/13本塁打、9/7安打、10/4本塁打)
三振、積極打法
三振はリーグ最多の107個
多少ボールを打ちすぎている(週刊ベースボール1958年9月24日号)
あとがき
怨霊さんほどじゃないけど当時のスコアとか漁ったりする査定始めたら、査定時間が三倍くらいになりました。