パワナンバー:11400 62352 07628
1963 .238(534-127) 22本 65点 20盗
経歴
堅実な守備で南海の内野陣を支えた遊撃手。1961年にプロ入りすると、当時ショートのレギュラーだった広瀬からレギュラーを奪取する。63年から66年まで4年連続でベストナインも受賞。打撃面でも打率は高くないものの2桁本塁打4回とパンチ力も光った。68年には連続守備機会無失策記録の日本記録を樹立(遊撃手で218回)。また同年のオールスター第3戦ではMVPも受賞。しかし翌年以降は出場機会を減らし、74年限りで引退。その後は南海のコーチ、スカウトや台湾(CPBL)でのコーチを務める。
査定
パワー
この年は22本塁打と他年度と比較して多め。本塁打率24.3。
64年に入団したローガンをも驚ろかす。(週べ1964年3月16日号)
プルヒが付いているのでこの辺かなぁと。
対左E
左右別打率は不明。
本塁打内訳:右投手20本 左投手2本
元々の左投手の数が少ないというのもあると思いますが...。
盗塁E
盗塁成功率.588(34-20)
ケガしにくさC、回復C
149試合出場。62年から68年まで7年連続120試合以上出場。
プルヒッター、インコースヒッター
外角が苦手で、引張傾向あり。
64年の春キャンプから外角打ちに取り組む(週ベ1964年3月16日号)
逆境○
ここ一番での勝負強さがあったらしい。(週刊プロ野球データファイル40号)
対エース○
土橋正幸投手(東映)(63年は防3.05 20勝)から4本塁打。
久保征弘投手(近鉄)や稲尾和久投手(西鉄)からも本塁打有り。
守備職人、エラー、積極守備
のちに連続守備機会無失策の記録を樹立するなど堅実な守備も光る。
この年は失策23で、その内タイムリーエラーになり得る可能性があるのが8つ(東高校調べ)なのでエラーを付けてます。
あとがき
(査定が)上手くなりたい!上手くなりたい!(泣きながら宇治橋を走る東高校)