パワナンバー:11100 02317 83213
1968 46登 10勝10敗 226回 防2.67
経歴
千葉県立一宮商業高校ー明治大学ー国鉄スワローズ、サンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズ(1964ー76)
国鉄からヤクルトまで在籍した唯一の選手。大学時代に1度肩を壊し手術を行ったが4年次にはエースとして活躍。64年に国鉄入り、入団後数年はなかなか結果が出なかったが、68年には先発として定着しチーム2位の10勝を挙げる。翌69年にも10勝。68年からの4年間で34勝を挙げるが、チームも低迷期で負け数も51を数えた。72年からはコーチ兼任となり、同年こそ29登板8勝3敗だったが、翌73年は6登板に終わる。74年からは再び選手一本になり抑えとして33登板6勝8Sの成績を残し、初代カムバック賞を受賞。76年に引退。引退後も長らくコーチとしてスワローズを支えた。
査定
コントロール
・BB/9=2.35
・スロースターターでー13されるのでC以上になるように調整。
スタミナ
・平均投球回5.8回、平均投球数83球。
・本人もスタミナに不安ありとのことだが、9回以上7回、最大14回完投もしている。
変化球
落差の大きいカーブと切れのいいシュートが武器(週刊ベースボール1969年9月8日号)
写真めっちゃフォーク(週刊プロ野球データファイル87号)
ノビC
・入団時、金田正一投手折り紙付きの球威(週刊ベースボール1964年4月6日号)
・「イシさんの球威があれば、完封勝ちがないの不思議なくらい」(武上四郎選手談)(週刊ベースボール1969年9月8日号)
回復B
平均登板間隔3.2日
先発34登板、途中12登板
キレ○
調子のよいときはカーブがよく切れる(週刊ベースボール1969年9月8日号)
ポーカーフェイス
イメージ。
寸前、スロースターター
イニング別失点
1回 11
2回 6
3回 11
4回 8
5回 12
6回 8
7回 4
8回 1
9回 4
・序盤と5回の失点が多め。
・「八回頃まで押さえていてもどたん場で打たれてしまう。(原文ママ)」(週刊ベースボール1969年9月8日号)
・チーム平均点約3.9点/9回に対し、援護点が約2.9点/9回と差があるが、5回未満での降板が12回なので負け運ではなくスロースターターで。
あとがき
虹を呼ぶ男に出ててましたね