パワナンバー:13700 30455 71424
経歴
高松商業→慶応大学→東京倶楽部→阪急(1936ー38引)
慶応の超ド級
プロ野球草創期のスーパースター。慶応大学時代には雑誌『野球界』において「球界における宮武くんを史上にその例を求むるならば、ナポレオンかあるいはジンギスカンに比するべきだろう」とも言われた。また豪打を誇る宮武も数多くの伝説を残している。
慶大1年春の開幕戦では先発し完封勝利、神宮球場初の柵越え本塁打含む3安打。30年秋シーズンでは神宮球場場外に運ぶ推定150m弾、水原茂をもってして「あれ以上の打球は知らない」と言わしめた。
投手としてもエースとして活躍。特に早大・小川正太郎との投げ合いは日本球界の華と言われた。通算38勝は慶応大学の投手として最多。
同じく慶応大学の”怪物”山下実と人気を博した。当時の六大学のスター選手はブロマイドの発売もあったらしいが、特にこの二人は別格だったよう。36年に阪急入り。契約第一号選手だったため背番号は1。入団時は29歳と選手としてのピークは越えており、大学時代のような本塁打は中々みられなかったようだが、36年は春夏.346、秋.372と打った。また入団当初は肩の故障で投手起用は少なかったものの、山下実が監督となった38年は投手起用が増え、通年で9勝を挙げた。同年引退。1965年に野球殿堂入り。
査定
大学時代を中心にプロでの要素も取り入れつつといった感じ。
基礎能力
球速145㌔ 快速球
コントロールD52 プロ成績をみると四球多めか
スタミナA81 慶大のエース。
変化球シュート、ドロップ、シンカー
28年に慶大が渡米した際にメジャーの投手からスクリューを教わったとか
ミートB79 30年春には.400で首位打者に。大学通算でも.304
パワーS94 別格のパワー
走力C68 プロ入り後は快足を活かした外野コンバートも検討されたそう
肩力B70 あっ!
守備E47 多分こんなもん
捕球E41 同上、プロ入り後もエラー多め
特殊能力
重い球
快速球。当時の飛ばないボールの意味合いも込めて。
勝ち運
大学通算38勝6敗
クロスファイアー
外角の速球が武器
投打躍動
二刀流
四球
プロ入り後の四球の多さを考慮
ラインドライブ
宮武はルーゲーリックや長嶋、山下はベーブルースや王タイプらしい。金得で輝かしく
広角打法
コースに逆らわない打撃。山下との対比も込めて。
対変化球○
上記の神宮の場外本塁打は若林(法大)のカーブを、
流石に宮武三郎作ってる人おらんやろ!と思ってたんですがはるまきさんが作ってたのでパクれるところはパクってます。変化球とか特に