東高校のパワプロ日記

パワプロ2022で作成した選手を紹介していきます!

池谷公二郞(広島)【パワナンバー・パワプロ2018】

今回はこの人!

 

速球勝負の被本塁打王”池谷公二郞”選手です。

 

1971年ドラフトで近鉄に指名されるも日本楽器へ。1972年に都市対抗で優勝し、ドラフトで広島に指名されるも、日本楽器のエース新美敏もプロ入りするため、1年入団を伸ばす。

晴れて74年に広島に入団。75年に18勝を挙げブレークすると、76年には沢村賞を獲得。だが翌年は、直球を狙われたか48被本塁打日本記録を作ってしまう。

70年代後半はエースとしてカープ投手陣を支えたが、北別府、大野、川口などが台頭しいつしかローテーションを外れてしまった。

そして85年、古葉監督の退任と共に引退。

 

f:id:HigashiHS:20181022004642j:plain

f:id:HigashiHS:20181022004701j:plain

 

パワナンバー:13300 50360 20525

 

査定

1976 290.1回 防3.26 20勝 15敗

 

基礎能力

武器は最速150㌔のストレート。

与四球率から見ればコントロールは良いが、被弾を増やすためにCに。

変化球はそんなに投げないがカーブ、スライダーが有った模様。

 

特殊能力

ノビB

速球中心で奪三振王とるのだからこれくらいしても良いでしょう。

打たれ強さB

本塁打を浴びまくりながら投げていたので。

回復A

登板試合数から。先発にリリーフに大活躍。

一発 軽い球

そういうこと。

鈴木健(西武)【パワナンバー・パワプロ2018】

今回はこのひと!

f:id:HigashiHS:20181021233545j:plain

http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=065-20150330-01&from=related_info

 

1990年代後半のライオンズの4番”鈴木健”選手です。

 

当時の最多記録となる高校通算83本塁打の実績をひっさげ、1988年に西武に入団。

1990、91とイースタンリーグで2年連続首位打者に輝く。93年にデストラーデ退団により1軍に定着。90年代西武の中軸を担い、97年に最高出塁率ベストナインを受賞。

2003年からはヤクルトに移籍し、.317・20本塁打・95打点を挙げる活躍でベストナインカムバック賞を受賞。

引退試合では、ファールフライを打ち上げた際、当時横浜の三塁手だった村田修一選手が故意落球し、センター前ヒットで現役最終打席を締めくくった。

 

f:id:HigashiHS:20181022005504j:plain

f:id:HigashiHS:20181022005541j:plain

 

パワナンバー:13400 80330 20529

査定

1997 .312(471-147) 19本94点

基礎能力

イメージを先行させた。あまり言うことはない。

 

特殊能力

チャンスB

得点圏打率 .373

プルヒッター

安打の約46%が右方向。

本塁打だけなら14本が右方向。

どうしても20本前後打ってるとプルヒとかつけたくなる。

選球眼

lsoD .119

 

村上公康(ロッテ)【パワナンバー・パワプロ2018】

今回はこのひと!

f:id:HigashiHS:20181017155723j:plain

画像出典 村上公康 Collection ( 野球 ) - 野球王国 - Yahoo!ブログ

 

西鉄、ロッテで活躍した強肩強打の司令塔”村上公康”選手です!

 

1967年に日本楽器から西鉄に入団。入団3年目には正捕手とし122試合に出場し14本塁打を放つ。だが、その年に起きた黒い霧事件への関与を球団に報告しなかったとして、1970年のシーズン途中から野球活動禁止の処分が下された。

その後ロッテに移籍し、正捕手として活躍し、1973年の八木沢壮六の完全試合、1974年の後期V、日本一に貢献する。

1977年も102試合に出場したが、そのオフに戦力外となり引退。一説によると、金田正一監督との確執があったとかないとか。

 

 

 

f:id:HigashiHS:20181007011939j:plain

f:id:HigashiHS:20181007011956j:plain

 

パワナンバー:13600 10226 61849

 

 査定

1974 .246(236-58) 9本 34点

基礎能力

打撃は成績からそれっぽく。2桁本塁打もあるのでパワーはD後半。

肩、守備は盗塁阻止率から。1974年は.488。

 

特殊能力

チャンスB

1973年は得点圏打率.311(シーズン.278)、1974年も8月だけで14点など随所で勝負強さを見せる。

キャッチャーB

日本一へ導いている。

送球B

盗塁阻止率から。

ケガしにくさF

1974年は8月に右膝を痛め離脱。9月に復帰するも調子は戻らず。

リクエストを受け付ける...?

おはようございます!

 

今回はちょっとお知らせ。

 

タイトル通り、パワプロ2018で制作して欲しい選手を募集したりします!

 

ただ注意して欲しいのが、時間の都合上直ぐにはできない可能性が高いということです。そこだけは許してください。

 

リクエストはこの記事のコメント欄とか、いっそブログ内の記事ならどこでもいいかも。

またはTwitterの固定ツイートにリプください!

 

Twitterはここから!

twitter.com

 

リクエストがなければ、今まで通り自由に制作していきます。

 

これからも東高校をよろしくお願いします!

中沢伸二(阪急)【パワナンバー・パワプロ2018】

今回はこのひと!

 

f:id:HigashiHS:20181017155256j:plain

 

阪急の黄金時代を支えた名捕手”中沢伸二”選手です。

 

1965年に甲府工業高校から阪急入り。当時は正捕手岡村浩二がいたため、なかなか出番が来ず。1972年からは岡村とのトレードで移籍してきた種茂雅之がマスクをかぶり、またしても控えとなる。

ただ1974年からレギュラーになると、75年からのリーグ4連覇に貢献。打力は少々物足りない部分もあったが、インサイドワークは抜群であったという。

そんな打撃も82年には打率。302、11本塁打をマークし2度目のベストナインにも輝いた。

 

f:id:HigashiHS:20181017160031j:plain

f:id:HigashiHS:20181017160047j:plain

 

パワナンバー:13900 90219 83315

 

査定

1978 .239(306-73) 7本40点  GG B9

 

基礎能力

肩はあまり強くなかったのでCに。

ただ盗塁阻止率は高めなので、守備力をAにして送球のうまさを表現したかった。

 

特殊能力

キャッチャーA

リーグ4連覇を鑑みて。

送球B

上記の通り、送球にが上手く、肩の弱さをカバー

ホーム死守

ブロック○